遠州綿紬の発展の裏には、2人の女性起業家

カテゴリー │浜松のよいトコ見つけ

●遠鉄百貨店でのイベント、大好評のうちに終了


19日から23日の5日間、遠鉄百貨店で開催された「遠州大好きフェア」に、遠州縞プロジェクトも参加させていただいた。

おかげさまで、連日多くのお客様が来てくださり、実際に手にとり、購入してくださった。
特に今年は「クールビス」が注目されているだけに、涼しいシャツが大人気。

私も少しの時間でしたが、売り場に立たしていただき、初のデパートガールを体験した。

たった3時間立っているだけで、足はパンパン。

しかし、お客様から、遠州綿紬やそれをつかった商品にお褒めの言葉をいただけたりすると、疲れも吹っ飛んでしまった。

●遠州綿紬の発展の裏には、2人の女性起業家

2004年に私たちがこのプロジェクトを立ち上げたときは、たったの4人だった。
その当時は、関係者から「なぜ?今更?」と言われたものだったが、こんな素敵な織物が浜松にあるのをもっと多くの人に知ってもらいたいと、めげずに今日まで続けてくることができた。そして、「遠州綿紬」を好きになってくださる方の輪が大きく広がり、百貨店での催事に進出するまでになった。本当に感慨ひとしおだ。


私が遠州綿紬が好きな理由のひとつに、これまでの遠州綿紬の歴史の中で2人の女性の活躍がしていて、勇気づけれらるからだ。

ひとりは、小山みいさん。みいは生来の起用者で機織り上手、多数の子女を預かって機織の伝授をした。この子女たちが、所所に分散して織物産地の礎となった。その後、みいの弟子たちが「永隆社」という申合組合を設立し、織物の品質管理をした。の功績をたたえ、小山みい顕彰の燈篭が蒲神明宮に建てられている。当時、一人の女性を称えた燈篭が建てられるのは大変稀なことじゃないかな。

もうひとりは、木俣くらさん。明治初期に十反引きの機を始め、生産向上を図った。
(1966年1月発遠江織物史原稿 山本又六著より抜粋)
2人は浜松の女性起業家の元祖。

明治という時代に、たくましく活躍したみいさん、くらさんを輩出したこの浜松地域から、もっと沢山のみいさん、くらさんが出て欲しいものだ。




●今度はぬくもり市で(6月4日)

さて、「あ〜〜、行きそびれた」という皆さんのために

6月4日、第5回遠州綿紬「ぬくもり市」を開催。

会場は、(財)浜松テクノポリス推進機構 半田山事務所1階(東区半田山2−24−2)
10時から16時まで

●生地・はぎれ販売
●新作織物のお披露目
●遠州綿紬アイディア商品
●ミニミニワークショップ
●ここだけの特別限定品販売
●震災チャリティバザー
など、盛りだくさん。

ぜひ来てくださいね。
お待ちしています。






タグ :遠州綿紬

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