2021年01月31日11:54
浜松とへちま≫
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明治〜昭和40年ごろ、浜松がへちまの生産、品質が世界一だったこと、ご存知ですか? マイクロプラスティックを削減するために、へちまの復活を!と活動を始めようとしている団体から相談があり、それじゃあ、私はへちまと浜松の歴史について調べようということで、中央図書館の郷土資料室へ。 (ここ、夏休みの自由研究ほか、調査にすごく使えます)
*浜松シードバンク・シードカフェ
「浜松から西鹿島までへちまの棚をつたっていくことができる」とまで言われたようで、栽培の中心は、笠井と浜北。 糸瓜は、タワシだけでなく、帽子、帽子の芯、スリッパ、靴の中敷、機械油のフィルターなどに使われ、海外で重用されたようだ。 へちま、落花生、生姜、南蛮が遠州四品と言われていて、海外輸出をされていた。 明治32年には、パリの万博にへちまなどを出品、好評を得、多くの国に、輸出されていった。
それを後押ししたのが「織田利三郎」。
パリでの万博では、巨大の象の模型を作り、これにへちまをはりつけてて、展示した。その写真を見たが、ポップで斬新。 織田利三郎は、浜松で大規模の博覧会を開催したり、浜松町農会、静岡県生姜糸瓜蕃椒落花生同業組合などを設立し、地域の産業振興に尽力した。
高町の奥山半僧坊浜松別院正福寺には、織田の功績を称えて、正面に利三郎の肖像画がはめ込まれている塔がある。
現在の田町にあるカスミヤは織田が開いた店舗で、100年を越えて営業中。
まだまだ知らない浜松を見つけることができた。学びは楽しい。
*浜松シードバンク・シードカフェ
「浜松から西鹿島までへちまの棚をつたっていくことができる」とまで言われたようで、栽培の中心は、笠井と浜北。 糸瓜は、タワシだけでなく、帽子、帽子の芯、スリッパ、靴の中敷、機械油のフィルターなどに使われ、海外で重用されたようだ。 へちま、落花生、生姜、南蛮が遠州四品と言われていて、海外輸出をされていた。 明治32年には、パリの万博にへちまなどを出品、好評を得、多くの国に、輸出されていった。
それを後押ししたのが「織田利三郎」。
パリでの万博では、巨大の象の模型を作り、これにへちまをはりつけてて、展示した。その写真を見たが、ポップで斬新。 織田利三郎は、浜松で大規模の博覧会を開催したり、浜松町農会、静岡県生姜糸瓜蕃椒落花生同業組合などを設立し、地域の産業振興に尽力した。
高町の奥山半僧坊浜松別院正福寺には、織田の功績を称えて、正面に利三郎の肖像画がはめ込まれている塔がある。
現在の田町にあるカスミヤは織田が開いた店舗で、100年を越えて営業中。
まだまだ知らない浜松を見つけることができた。学びは楽しい。