2005年04月19日17:12
お茶の木がいっぱいあるのは知っていたけれど、
三方原が紅茶の名産地なんて、知らなかった〜〜。
お茶の博士から聞きました。
−−−−−−−−−−−
戦前、姫街道周辺の茶園農家では、外貨獲得のために、
輸出用として紅茶がつくられていました。そして昭和30年
代後半の緑茶消費不況やセイロン(当時)での紅茶の不作が
重なり、浜松でも紅茶が本格的に生産されるようになりました。
昭和42年、ロンドンでの紅茶オークションやその他の輸出
先の国々でも、大変高い評価を受けていましたが、その後、緑
茶消費の回復、輸入の増加などから紅茶の生産は激減していき
ました。現在では、国産紅茶は稀で価値のあるものとなっています。
なんだって。。。。。
−−−−−−−−−−−
そこで、
地元で栽培・加工したこの貴重な国産紅茶を地元の人たちが協力して
この度「葵乃御紅茶」として再び復活させました。
純国産ならではのまろやかで自然な甘みは、うまいぞ。
三方原が紅茶の名産地って知っていた?≫
カテゴリー │浜松のよいトコ見つけ
お茶の木がいっぱいあるのは知っていたけれど、
三方原が紅茶の名産地なんて、知らなかった〜〜。
お茶の博士から聞きました。
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戦前、姫街道周辺の茶園農家では、外貨獲得のために、
輸出用として紅茶がつくられていました。そして昭和30年
代後半の緑茶消費不況やセイロン(当時)での紅茶の不作が
重なり、浜松でも紅茶が本格的に生産されるようになりました。
昭和42年、ロンドンでの紅茶オークションやその他の輸出
先の国々でも、大変高い評価を受けていましたが、その後、緑
茶消費の回復、輸入の増加などから紅茶の生産は激減していき
ました。現在では、国産紅茶は稀で価値のあるものとなっています。
なんだって。。。。。
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そこで、
地元で栽培・加工したこの貴重な国産紅茶を地元の人たちが協力して
この度「葵乃御紅茶」として再び復活させました。
純国産ならではのまろやかで自然な甘みは、うまいぞ。