2011年12月11日13:36
隠れたカリキュラム≫
カテゴリー │子どもの育ち
先のブログで、ある生徒会長選挙のことについて書いたところ、多くのビューとご意見をいただいき、ありがとうございます。
コメントの中には、女子生徒は、副会長になったんだからいいんじゃないかなど、問題と感じられないというものもあった。
また、女子生徒からは、「(票が公表されないことについて)大人の社会も、人の知れないところで決まっているものね」というショッキングな言葉を聞いた。
もう少し、この問題を考えたい。
子どもたちは、教科書で行われる「授業」だけでなく、教える側が意図する、しないに関わらず、先生の言動や雰囲気の「隠れたカリキュラム」によっても、学んでいく。
授業の中でいくら人権教育や民主主義教育をしていても、その他の場面(今回は、生徒会活動)で踏みにじってしまうと、意識する以上の「教育効果」をあげ、子どもたちの知識、価値観、行動パターンを築いていく。
もちろん、子どもたちは、学校の中だけでなく、親からも、メディアからも学んでいく。
今回の生徒会長選挙では、
「誰でもが立候補できることにはなっているが、立候補できるのは先生の認めた人だけで、誰もが立候補できるものではない」
「男は代表、女は副」
「大事なことは、密室で決める」などを
知らず知らず、子どもたちの心に内在化させていく。
親や周りの人たちがこのことに問題視しなければ、正しいこととして、さらに固定化されていく。
そして「公的なルールとは別に、社会には「おきて」がある。
『みんな』が従うコト(空気や現状)には黙って従うものであり、
それに逆らうことは許されない。」
と、子どもたちは、社会の「おきて」を知らず知らずに学んでいる。
私たち、大人は、「隠れたカリキュラム」にもっと敏感でなくてはならないと思う。
コメントの中には、女子生徒は、副会長になったんだからいいんじゃないかなど、問題と感じられないというものもあった。
また、女子生徒からは、「(票が公表されないことについて)大人の社会も、人の知れないところで決まっているものね」というショッキングな言葉を聞いた。
もう少し、この問題を考えたい。
子どもたちは、教科書で行われる「授業」だけでなく、教える側が意図する、しないに関わらず、先生の言動や雰囲気の「隠れたカリキュラム」によっても、学んでいく。
授業の中でいくら人権教育や民主主義教育をしていても、その他の場面(今回は、生徒会活動)で踏みにじってしまうと、意識する以上の「教育効果」をあげ、子どもたちの知識、価値観、行動パターンを築いていく。
もちろん、子どもたちは、学校の中だけでなく、親からも、メディアからも学んでいく。
今回の生徒会長選挙では、
「誰でもが立候補できることにはなっているが、立候補できるのは先生の認めた人だけで、誰もが立候補できるものではない」
「男は代表、女は副」
「大事なことは、密室で決める」などを
知らず知らず、子どもたちの心に内在化させていく。
親や周りの人たちがこのことに問題視しなければ、正しいこととして、さらに固定化されていく。
そして「公的なルールとは別に、社会には「おきて」がある。
『みんな』が従うコト(空気や現状)には黙って従うものであり、
それに逆らうことは許されない。」
と、子どもたちは、社会の「おきて」を知らず知らずに学んでいる。
私たち、大人は、「隠れたカリキュラム」にもっと敏感でなくてはならないと思う。